石原慎太郎氏、辞任スピーチ 政治家の経歴は決して決して、決して、長きを持って良しとするものではないということを、改めて痛感、自覚し、ただ恥いるのみであります。全ての政党、ほとんどの政治家は今はただいかに自らの身を保つかという最も利己的で卑しい保身の目的のためにしか働いていません。
書き起こしアプリによる書き起こし
政治家は今はまだいかに自らの量と思ったという最も離婚的で卑しい星の持ってくのためにしか働いていません。国民がもらえ、並列の通りとして期待し、裏切ることにも組んでるから、未だに国家としての明確な一生主催できる。男の姿をしながら、実は男子としての能力で書いた体が。 そのまま去勢された宦官のような国家になり、果たしています。
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こうした政治の元凶に国民がもはや軽蔑を通り越して期待し、裏切られることにも運んでいる。ただ、無関心すぎてるという状況は政治を保持してくとした言いようありません。で、処分1試合によって成り立っていたヨーロッパ近代主義の繁栄が。
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そしてその上を持って、私は今日の限りにおいて国会議員を持続させていただきます。ありがとうございます。
修正文
政治家は今はまだいかに自らの量と思ったという最も離婚的で卑しい星の持ってくのためにしか働いていません。国民がもらえ、並列の通りとして期待し、裏切ることにも組んでるから、未だに国家としての明確な一生主催できる。男の姿をしながら、実は男子としての能力で書いた体が。 そのまま去勢された宦官のような国家になり、果たしています。
昭和41年の暮れから翌年にかけて私はある新聞の特派員として当時すでにデルタ地域にまで共産勢力が進出していたベトナム戦争の取材に赴きました。 あのベトナムで強く感じたことは、主とサイゴンの知識階級水からの国で行われている戦争の驚くほどの無関心
冷笑的な態度でありました。
それゆえ私はあの国がやがて間違いなく共産化されることを確信してました。 同時に私にはあの教養高いベトナムのインテリと、日本の知識人たちが
その政治姿勢において互いに非常に似ているという気がしてなりませんでした。ということは祖国日本もまた。 いつかの将来、あるいは自由主義体制が侵食され、崩壊する日が来るのではないかと。
ならば、それを防ぐためには自ら行動すべきではないかと。私が政界に身を投じる決心をしたのは、あの他国の戦争で感じたものの故にでありました。
そして、その翌年昭和43年の参議院全国区に立候補当選し、後に衆議院展示して以来、韓日に及びます。 私の政治会の転身の動機は、その後の日本の発展と安定を眺めば幸いにも杞憂に終わりました。
全て国民の英知と選択とやむことはない努力のお陰であります。
その間、私も私なりに志を同じくした仲間と共に政治の金券性と戦い、あるいはアメリカや中国の対日関係におけより一方的な主張に反発し、微力ながらの戦いもして参りました。 最も欣快とするのは日本側の国益をなんら反映することのなかった。あの日中航空協定に最後まで反対した我々青嵐会(せいらんかい)を当時の周恩来首相が称して彼らの言うことが当たり前だ。私が日本の政治家だったら、彼と同じことを言っただろうと周辺に語ったということを、後に複数の方々がら聞かされた事でありました。
しかしなお今日この表彰を受けて、改めて私は自らの力の足りなさに慚愧せざるを得ません。政治家の経歴は決して決して、決して、長きを持って良しとするものではないということを、改めて痛感、自覚し、ただ恥いるのみであります。
イデオロギーの産んだ冷戦構造が崩壊した今、政治の対立軸が喪失されて、私たちは新しい軽薄な混乱の中にあります。新しい秩序の造形のために多くの可能性に満ちているはずのこの日本の将来を毀損しかねないような問題が幾つもの露呈してきているのに、
現行の政治はそれにほとんど手をつけられぬままに、全ての政党、ほとんどの政治家は今はただいかに自らの身を保つかという最も利己的で卑しい保身の目的のためにしか働いていません。
こうした政治の現状に国民がもはや軽蔑を通り越して期待し、裏切られることにも倦んで、ただ無関心すぎてるという状況は、政治の本質的危機としか言いようありません。植民地支配で成り立っていたヨーロッパ近代主義の繁栄が終焉し到来しつつある新しい歴史のうねりの中であたらしい世界の文明秩序が期待されている今、歴史的必然としてアジアに回復し、他の誰にも増して新しい歴史創造への作業への参加の資格のあるはずのこの日本が、未だに国家としての明確な意思表示のできぬ国家に成り果てている。
それを官僚の政治支配のせいというなら、その責任はそれを放置している我々全ての政治家にいくつあるのではありませんか?現在の日本国民の政治に対する軽蔑と不信は今日このような表彰を受けたとはいえ、実は悪戯に馬齢を重ねてきただけでしかない。まさにこの私自身の罪科(つみとが)であるということを改めて恥入り慚愧するのみであります。それでもなお、かくも長期にわたってこのような私に期待し、支持を賜った国民の皆様にこの場をお借りして改めて心より御礼を申し上げ、あわせて深い深い残機の念を表す次第であります。
そしてその故を持って、私は、今日、この限りにおいて国会議員を辞職させていただきます。ありがとうございました。
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